沖縄人インタビュー  島袋 健(シマブクロ タケシ) 

現在、関東の伊良部島郷友会会長の島袋さんが登場

昭和26年生 沖縄県宮古郡伊良部町出身

約30年前に沖縄から横浜へ

現在は「島ブロック建設」の社長として活躍

伊良部島でのくらし、30年前の本土の状況

現在との違いなどを聞いてみました!

 

       

〜方言の大切さを伝えたい〜

島袋さんの子供のころの伊良部島はどうでしたか?

島袋(以下「島」)

 当時、沖縄は返還されてなかったから、いろいろと大変な事があったね。

 その中でも印象に残ってるのは学校で方言を使ってはいけなかったんだよ。標準語を使わないといけない。沖縄が返還される前の話。そうゆう時代だったんだ。もし、誤って方言を使ったひには、さあ大変!赤紙っていって「私は方言使いました!」っていうような紙を貼られるんだよ(笑)

でも日常では方言を使っているんですよね?

島 そう!方言ばっかり(笑)今だってそうだよ。

今でも方言とかなまりはぜんぜんぬけない。というよりは

このままでいいんだよ。こっち(横浜)に来ても島の友達はたくさんいるんだ。でもおもしろいことにあの小さな伊良部島でも部落が7つあって方言がそれぞれ若干違うんだ

7部落とも違うんですか?

 そう。近いところで似ているところもあるけど違う

不思議なもんだね。また、宮古島がすぐ近くだけど、ここともまた違ってくる。同じ沖縄でもまた本島に行ったらぜ〜んぜん違う。本島の人も宮古・伊良部島の方言はさっぱりわからないと思うよ。

同じ沖縄でもそんな違いがあるんですね。

今、島でもあまり方言を使わなくなったと聞きますがどう思いますか?

 残念ですね。でも昔は「方言禁止」だったけど今はまったく逆の活動がされてるんだ。方言を使いましょうってね。俺はね、この言葉の文化っていうのは本当に大切にしなければならないって思ってるよ。なくしてほしくないね

これは沖縄以外のところにも言えるんじゃないかな。

そうですね!なんか外国語を覚える感覚になるんですけど、私たちも方言覚えていきます!ありがとうございました。

 

  

〜沖縄人とは〜

島袋さんが横浜に来たときは沖縄の人はたくさんいたんんですか?

 そうだね。もちろん今ほどは多くないけど横浜、特に鶴見・川崎あたりは工業地がどんどん発達していた時期だったから沖縄からたくさんのひとが仕事で来たんだよ。

でもね、ここで問題が。沖縄の人はのんびりした人が多いなんていうけど、一部の沖縄人でこれがお酒が入って急変する人がいた。もともと声は大きいし、喧嘩はする、傷害事件もあったし。そんな一部の人たちのせいで「沖縄の人は怖い、危ない」なんてことになってしまったんだ

そこからが大変!沖縄の人にはアパートも貸してくれなかった。沖縄の人は、よくお酒を家で集まって飲むからね

大きな声も出すし、踊って騒ぐ、そんな風習が受け入れられなかったんだ。

住む所を探すにも苦労したんですね。じゃあ、お酒を飲むには飲み屋さんに行くしかありませんね

 これがまた大変(笑)さっきも言ったけど一部の沖縄の人が問題を起こす、でも一部と見てくれない。沖縄の人はみんな一緒の扱い。そうなると飲み屋さんにも入れない、「沖縄の人、入店禁止」なんて張り紙してあるんだ

(笑)今でこそ沖縄ブームなんていわれてるけど、まったく逆の状況だよね。沖縄の料理屋なんてほとんどなっかたよ。あのころはそういう意味では大変だったね。

今日、沖縄の人がこうして暮らせるのも島袋さんのような方たちの苦労があってこそなんでしょうね。私たちもそんな沖縄の人や沖縄の文化が好きな方々のためにも

よりよいお店づくりをしていきます!

同じ伊良部島出身の「池間さん」

よく二人で遊んでるそうです

方言トークが炸裂してました!